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サイレントハンターとは日本の競走馬、種牡馬である。おもな勝鞍は大阪杯、中山金杯、新潟大賞典(2回)。 == 戦績 == 1996年1月13日に東京競馬場の新馬戦に鞍上吉田豊でデビューしアロハドリームの5着。2戦目の未勝利戦で初勝利を挙げるが、このときはまだ逃げ馬ではなかった。2勝目はその年の11月に挙げ、この年を10戦2勝で終えた。 1997年4月、阪神競馬場の摂津特別で逃げ切り勝ちし3勝目。12月の香取特別で4勝目。以降逃げ馬として活躍することになる(この年11戦2勝)。 1998年は飛躍の年になった。年明け2戦目のジャニュアリーステークスを勝ち、3走後の総武ステークスを勝つと初オープンのエイプリルステークス、新潟大賞典と3連勝し、初重賞制覇をする。鳴尾記念は9着に敗れるも札幌記念ではエアグルーヴの2着、オールカマーではダイワテキサスの3着に健闘した。そして迎えた天皇賞(秋)、サイレンススズカが大逃げを打ち、サイレントハンターは無理に競りかけずに単騎逃げ状態で2番手を走った。しかし、サイレンススズカが4コーナーで競走中止、後ろを走っていたサイレントハンターは衝突を防ぐためサイレンススズカを避け大きくコースをロスしてしまう不利を受けたが、4着に逃げ粘った。次走のジャパンカップでは他馬よりゲートが開くのが遅いというハプニングがあったにもかかわらず、それでも逃げて14着に大敗。その年を12戦4勝で終えた。 1999年、年明け初戦の中山金杯を勝ち重賞2勝目。次走のアメリカジョッキークラブカップでは同馬主のスペシャルウィークの2着になり1・2フィニッシュとなった。4月の大阪杯では1997年の菊花賞馬マチカネフクキタルらを相手に勝利し、重賞3勝目を挙げた。しかし、次走の金鯱賞で1番人気で4着に敗れて以来勝利から遠ざかることになる(この年11戦2勝)。 2000年は2戦して0勝。2001年、5月の新潟大賞典(この年は福島競馬場で行われた)で2年振りの勝利、重賞4勝目を挙げた。次走の天皇賞(秋)では出遅れてしまい、本来の力を出すことができず敗退、このレースを最後に引退した。 比較的早めに活躍するサンデーサイレンス産駒にしては、初勝利も4歳(当時)の1月と遅めであったが、6年間も現役を続け息の長い活躍をした。また、通算11勝はディープインパクトの12勝に次ぐサンデーサイレンス産駒第2位の勝利数である。11勝のうち9勝を2000メートルのレースで挙げており「2000メートルのスペシャリスト」とも呼ばれていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「サイレントハンター (競走馬)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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